ここに来るのも久し振りだ。重く硬い木の扉を山吹は開く。カランと乾いた鐘の音がする。
いつ来ても狭い店だと山吹は思う。カウンターには5席ほどしかなく4人掛けのテーブル席が一つあるだけだ。静かで良いのだけど。山吹はカウンターへと慣れた足取りで向かう。
カウンターの向こうで 進藤 守(しんどう まもる)はシェイカーを振っている。
珍しいな。久し振りじゃないか。
週末にはバーテンダーという当院の不良言語聴覚士に、偶には会いに行こうと思ってな。
実家の手伝いをしているだけだよ。何度も言っているだろう。
進藤はグラスを二つ用意し、均等に酒を注いだ。
お前にもまた後輩ができたらしいな。沢尻くん以来か?
そうだな。奴とは違った意味で、やたらと元気が良いのが来たよ。
同期の進藤とは不思議とこうやって話す事が多かった。お互いに、はみ出しものだから気が合うのかもしれないと山吹はいつも思う。
白波百合ちゃんだったか?
なんだ知っているのか?
新人の頃から元気は良かったからな。まぁ・・・よく目立ってたよ。
そうだったんだな。
そういうところだよ。と進藤グラスを口元に運ぶ。
それで調子はどうなんだ?まぁ顔を見れば分かるが。
毎日休憩室に押しかけてくるよ。そんで毎日講義をさせられている。
良いことじゃないか。そうでもしないと後輩と関わらないだろう。
そんなことは無いと言いつつ、山吹は視線を逸らす。
正直、毎日通って勉強してくれる事は嬉しいよ。それだけ僕の負担も減るからね。
後輩の成長はそのまま業務の軽減に繋がる。仕事として考えるならそうだけど、お前自身としてはどうなんだ。
それを聞いてどうする。
興味本位だよ。
山吹はグラスを一気に傾ける。頬が熱くなるのを感じる。
進藤は笑いながら別のグラスに琥珀色の液体を満たした。
一般病床にいる限りは人の死を見なければならないからな。その時に後悔しても遅いんだよ。一生付き纏うからな。
急がなくても、そんなに子供ではないと思うけどな。
多分僕はこの病院の誰よりも患者の死を見ている。大人か子供かなんて関係ない。それはお前も知っているだろう?
担当患者が急変する度に、無言でカウンターに居座り続ける迷惑な客の話か?
それは・・・悪かったよ・・・。
臨床にいる限りは、いやセラピストでいる限りは患者の死を常にそこにある。だけどもそうならないように医療従事者である僕らもまた居る。いやそれだけでも無いと山吹は思う。それでもいつか『死』向き合わなければいけないとも考える。教えなければならないと思う。
いつか本当の意味で、直面してしまう前に。
なぁ。白波ってどういう子なんだ?何か知らないか?
それを知るのも指導者のお前に必要な事だろう。
すぐに答えは言わないんだな。
それはお前も一緒。臨床ではお前に教えられる事も多いけど、ここなら俺がお前に教える事も沢山有りそうだな。
ふん。と山吹は並べられた酒瓶に目を移す。
教わる事で学ぶ事は当然だが、教える事で学ぶ事も多い。
お前にだって昔、指導者が居ただろう。
昔の話だな。勝手なその指導者はもう居ないよ。
そうだったな。
進藤は言葉少なくそう返す。山吹はグラスに視線を落として昔の事を思い出しているようだった。
後続指導はやはり大変だ。
お前の後輩はより大変だろうけどな。
いつも憎まれ口ばかり叩くんだな。
それくらい気を許しているって事だよ。
ふん。と再びウイスキーを呑み干した。進藤は知っている。この恐ろしく不器用な男は常に指導者だった人の影を追っている事を。只々愚直に前を見てずっと追っている事も。
まずは後輩を良く見る事だな。周りを見ずに前ばかりに進んでいると沢山見落としちまうからな。
それは知っている。
なら良いけどな。今度は沢尻くんも誘ってやろうか。今や回復期病棟で頼れる先輩だと評判らしいぞ。
ほう。チャラいだけの人類だと思っていたよ。なら今度、腕が鈍っていないかちゃんと確かめないとな。
そういうところだよ。と進藤は片方の唇だけを上げて笑う山吹にため息をついた。
山吹薫のメモ①
・後輩の成長はそのままセラピストとしての重荷を減らす。自分にも相手にも
・後輩を教える事で学ぶ事も多い。
・後輩がまずどういった人なのかを知る。
・あの阿呆な指導者は今、何処に居るのだろうか。
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